養分と毒素

死ねないから生きている

銃創と休息

今日も朝から頭が痛い。

いわゆる気象病とか、天気痛などと呼ばれるもので、気圧が下降するときはだいたい調子が悪い。台風が来るときなんかは、身体を起こしているだけでもつらい。

気圧の変化そのものは自然現象なのでどうしようもないけれど、不調の原因がそれだとわかっているぶん、対抗策を講じることができる。バファリンで痛みが緩和されればラッキーだし、薬を飲んでもつらいときは寝る。「大いなる自然の前に人間は無力である」とか、なんかそれっぽいことを唱えておけば気持ちも楽になって、ドヤ顔で休める。

困るのは、「なんかよくわかんないけど調子悪い」というやつだ。なんかだるい、なんか頭痛い、なんか食欲ない。熱はないし横になるほどじゃないけど、なんか活動する元気がない。

もしも夫や友人がこんなことを言っていたら、「原因がわからないなら尚更休め」と布団におしこめると思う。けれど、自分の身にそういうことが起こったとき、私は潔く休むことができない。それは、「休むことは悪である」というゆがんだ思考が脳みそにへばりついているからだ。

 

中学生のころ、私は同級生によるいじめの標的になっていた。初めは誰にも言わず耐えていたのだが、それも限界に達し、親に告白することを決めた。「いじめられている。もう学校に行きたくない」ということを手紙にしたため、家族がみんな眠った真夜中に、親の寝室のドアのすきまにそっと差し込んだ。

これでもう大丈夫だと、私は安心して布団の中にもぐりこんだ。娘が明確な理由をもって「行きたくない、休みたい」と言っている場所に、無理やり送り出すような人たちではないと、無意識のうちに信じ切っていたのだ。

明朝、その思いは粉々に砕かれた。部屋にやってきた母は、「学校を休むのだけはダメ、学校には行きなさい」とのたまった。他にも何か会話があったはずなのだが、それらがすべて吹っ飛んでしまうほど、その言葉は私の腹に深く突き刺さった。私は戦場でぼろぼろになって、それでも一命をとりとめて自宅に戻ってきた兵士だった。母はそれを知ってか知らずか、追い討ちをかけるように銃をぶっぱなして「戦場に戻れ」と言ったのだ。

応戦する力など残ってはいなかった。傷を見せて痛いと訴えれば、守ってもらえるどころか、また攻撃される。そのことだけをはっきりと学習した私は、家族に弱みを見せることをやめた。ド田舎に住むクソ真面目な子どもだったおかげで、そこから逃げ出すこともできず、結婚が決まって家を出るまで、私は自分のつらさや悲しみや怒りを自分の中にしまいこみ続けた。

新生活が始まってしばらく経つと、それらが爆発しだしてまた大変なことになるのだが、それは今後の記事で少しずつ書いていこうと思う。

 

こんな私が、「休む」という選択肢をとるのはなかなか難しいことだ。「休むほどのことじゃない」と無理やり自分に言い聞かせて、その結果ひどく疲弊してしまったり、せっかく休むと決めても「このくらいで休んでしまうなんて自分は役立たずのクズカスだ」などと考えて布団の中でだらだら泣いていたりする。

ただひとつ言えるのは、私が休むことを怒ったり責めたりする人間は今の環境にはいないし、そもそも調子が悪くて休んでいる誰かに文句を言うようなやつはおかしい、ということだ。

休むことへの抵抗感がきれいさっぱりなくなる、ということはないのかもしれない(それはそれで大人として問題があるような気がするし)。けれど心身の健康のためにも、「よくわかんないけど調子悪い」自分を軽視せず、休む時にはゆっくり休むということができるようになればなあ、と思っている。