養分と毒素

死ねないから生きている

蜘蛛の糸と命綱

父がパソコンを買ってきたのは、20年ほど前、各家庭にインターネットが普及し始めたころだ。仕事で必要だったのだろうと思う。母や他のきょうだいたちがほとんど見向きもしない中、私だけがその大きな箱にかじりつき、インターネットという新しい世界にひきこまれていった。

当時小学生だった私の周囲に、「家にパソコンがあり、日常的に触っている」という友だちはいなかった。土地柄もあるのかもしれないが(けっこうな田舎だった)、私は年齢のわりにインターネット歴が長いほうなのかもしれない。

初めは有名な子ども向けのポータルサイトで、気になる項目をクリックしたり、ゲームをして楽しんでいた。そのうち「検索」という手段を覚えると、好きな単語を窓に打ち込んでは、ヒットしたページをかたっぱしから開いていくことに夢中になった。誰が描いたのかわからない、好きなアニメのキャラクターのイラスト、聞いたことのない音楽、たくさんの人たちが集まる掲示板。知らなかったもの、想像さえしなかったものが、そこには数えきれないほどあった。

やがて私は、インターネットの深い森にひそむ、ひとつの村にたどり着いた。当時大好きだった少年マンガのファンサイトだ。作品の情報や豆知識などのコンテンツも充実していたが、私がハマったのは、そこに設置されていた大型の掲示板だった。

私がよく出入りしていたのは、同い年の子たちが集まるスレッドだ。学校から帰ると「ただいま~!」なんて言って、毎日のように書き込んでいた。特に仲良くなった子とは、メールでやりとりして住所と名前を教えあい、年賀状交換などもした(両親には不審がられた)。当時SNSという言葉はなかったけれど、今思えばあの場所は、それらと何ら変わりないものだった。インターネットは幻想の世界ではなく、別の誰かの現実に続く細い糸のようなものなのだと、私は誰に教わるでもなく知っていた。

中学1年生の冬の終わり、私はそれまで開くことのなかったスレッドに足を踏み入れた。タイトルは「愚痴を吐き出す」とか、そういう類のものだったと思う。

中学に入って3ヶ月くらい経ったころから、私はいじめに遭っていた。首謀者はクラスも部活動も同じで、なぜか周りもそれに迎合しだし、親も教師も対処してくれなかったおかげで、私の居場所はどこにもなくなっていた。放課後、親が仕事から帰ってくるまで、パソコンのディスプレイをのぞきこむ数時間が唯一の安らぎだった。その短い間だけ、「田舎の学校でいじめられているブサイクな中学生」ではなく、「少年マンガが好きな普通の女の子」でいることができたのだ。インターネットは私にとって、もはや楽しい冒険の世界ではなく、自分の現実を忘れるための薬、生活を乗り切るための安息の地だった。

それまで誰にも言えなかった気持ちは、馴染んだキーボードの上でするすると言葉になっていく。いじめられていてつらかったこと。相手になんの仕返しもできなかったこと。春になればクラス替えで、首謀者とは離れられることが決まっているけれど(教師が便宜をはかってくれた)、自分はこのいじめに負けたのだと思っている、ということ。

そこに書きこむことで、何かが変わるわけではない。ただ、独り言としてつぶやくことさえできなかったこの気持ちを、知らない誰かが受け取ってくれたらいいと思った。

後日、その投稿にいくつかコメントがついた。みんな年上で、今まで話したことのない人たちだったけれど、彼らは揃ってこう書きこんでいた。

「あなたはいじめに負けたんじゃない、勝ったんだ」と。

そんなバカな、と思った。私の周囲で、そんなことを言う大人はひとりもいなかったし、自分でもそんな考えに至ったことはなかった。

けれど、それらの言葉をすんなりのみこめる自分もそこにはいて、胃が裏返りそうになりながら、私は泣いた。今自分の周りにいる人たちとまったく違う考えをもって、思いもよらない言葉をくれる人たちが、この世界には確かにいる。うれしいけれど、少しおそろしいような、初めての体験だった。

 

その後は自分のサイトを作ったこともあるし、SNSのはしりであるmixiが登場するとそちらに入り浸り、今はツイッターをながめるのが習慣になっている。時代とともにツールは変化しているけれど、私はずっとインターネットとともに生きている。今の自分の現実の海で溺れないように、別の誰かの現実とつながる細い糸を太く太く編んで、胴体にしっかりと巻きつけて泳いでいる。生きることに積極的ではないし、しょっちゅう死にたくなるけれど、うっかり死んでしまわないように気をつけてはいるのだ。