養分と毒素

死ねないから生きている

ゴールデンウィークとヘビーストーン

10連休、お疲れさまでした。

私はマンガを買い集めたり、積読タワーを建てたり、3泊4日で夫の実家に行くはずだったのをドタキャンしてしまったり、その後風邪をひいたりして、大変疲れました。

 

* * * *

 

ここ数年、夫の夏休みと年末年始とゴールデンウィークは、夫の実家に行くことが多い。

私の実家には行かないし、旅行できるような金銭的余裕もないし、とはいえどこにも行かないというのもつまらない。その結果、比較的お金のかからない小旅行として「義実家への帰省」が選択される、という感じだ。

義実家はすごく近いというわけではないが、すごく遠いわけでもなく(新幹線や飛行機に乗る必要はない)、交通費は比較的安い。宿泊費も食費もかからない。何より、夫は自分の実家に帰省するのが好きなのだ。

嫁である私も、それにいやいや付き合っているわけではない。夫の家族はベタベタしてくることも、他人行儀すぎることもなく、ちょうどよい距離感で接してくれる。帰省している間、数度は一緒に出かけるが、ほとんどは部屋でのんびりさせてもらえるのもありがたい。夫の実家は広いので、自分たちの部屋にいれば、リビングや他の部屋の話し声や物音が気にならないというのも大きいと思う。

私にとっては「義実家」なので、まったく気を遣わないわけではないし、帰省を終えて自宅に戻ると正直ほっとする。積極的に行きたいと思うわけではないけれど、義両親のことが好きだし、特に義母は、私の体調のことや両親との関係を知ってくれている。だから時々は会いたいと思うし、義実家に行くということ自体は負担でもなんでもないのだ。

 

ではなぜ今回、ドタキャンに至ったのか。

原因はおそらく、春の不安定な気候や、連休前の仕事で疲労していたことと、月経前の時期が重なったせいだと思う。

帰省前日、荷造りを始めなくてはと思ったところで身体が動かなくなった。

少し休んでからにしよう、と薬を飲んで横になるものの、身体はさらに重くなり、時間はどんどん過ぎていく。

もう決まっていることなんだから、と自分を奮い立たせようとしてもうまくいかず、呼吸がおかしくなって涙が溢れてくる。

何がそんなに不安なのだろう。何がそんなに怖いのだろう。

これから荷造りをして、明日の朝家を出て、人でいっぱいの駅で電車に乗って、自分の家ではない場所で数日間を過ごす。そのすべてが不安で恐怖だった。

「明日、無理かもしれない」と伝えると、夫は不満げな顔をした。1ヶ月以上前から決まっていた予定で、特急のチケットも取ってしまっていたのに、前日にそんなことを言い出すのだから当然だと思う。

「荷造りなら俺がやるし」「そういうことじゃない」といった押し問答が少し続いたが、最後には「実家に帰るときにこんなに具合悪くなるなんて、今までなかったもんな」と彼も理解してくれ、今回はやめようという結論に至った。

その後も義実家に連絡を入れてもらったり、特急券の払い戻しに行ってもらったりせねばならず、夫に対して申し訳ないという気持ちは強かったけれど、予定を取りやめることが決まると少しずつ気持ちが落ち着いてきたので、これでよかったのだと思うようにしている。

義両親もメールで「気にしないで」と言ってくれたのだけれど、罪悪感は漬物石のようにずっしりと乗っかっている。

 

今日は連休が明けて最初のカウンセリングだったので、以上のことを先生に話したところ「受け入れてもらえてるからこそ、期待に応えなきゃって思ってしまうのかもしれないよ」と言われて目からうろこだった。

私たちには子どももいないし、義実家に対してできることといえば、時々帰って顔を見せることだと思っているふしがあるので、それはすごくあるかもしれない、と思った。

とりあえず少しずつでも、この漬物石が小さくなってくれればいい。

1/29〜

ZARAの服がかわいい。ワオキツネザルとかオニオオハシがプリントされたシャツがあった。カーキのスカートとか合わせたら冒険家のコスプレみたいで絶対にかわいい。ドット柄のスウェットとかもかわいかった。

 

・↑の情報を確認するためにZARAのオンラインショップを見ていたら、すごくきれいなモデルさんがいた。黒髪のショートカットで、スレンダーで、レディースのページだったから女性なんだろうけど、性別とかどうでもいいと思うような美しさだった。人間としての造形美みたいな。よくわかんないけど。

 

・母にメールアドレスを変えてほしいと思っている。ほぼ連絡はとらないので実際目にする機会は少ないけれど、思い出すと猛烈に腹が立つし吐き気をもよおす。自分の名前+長女(私)の名前+次女の名前って、自分が何歳だと思っているのか。もはやアラ還だよ?子ども全員成人済みだよ?今のお母さんたちがそういうことしてるのか知らないけど。っていうか、やるなら長男の名前も入れて徹底的にやれよ。できないなら犬の名前でも入れとけよ。と思う。

 

・夫が誘ってくれたのでいそいそとチケットをとり、アクアマンを観に行った。カメラがぐりんぐりん動きまくるのでちょっと酔いそうだったけど、大画面の大音量で観るにはとても楽しい映画だった。ヒーローもヴィランも全体的に好みのビジュアルだったので、パンフレット買ってメタルのキーホルダーも買った。今度の週末は爆音上映に行くし、来月はウルトラマンルーブの劇場版もあるので行かねばならない(使命感)。

 

・吉祥寺で「ボヘミア」というチェコビーズのお店を見つけた。入ってみたらクイーンが延々とかかっていて、狭い店内にあんまり見たことないビーズがいろいろあった。また行きたい。

 

NHKを観ていたら、宮沢賢治の話をしていた。「雨ニモマケズ」を久しぶりに聞いたら胸に刺さりまくって死ぬかと思った。「サウイフモノ」にいちばんなりたかったのは賢治自身で、たぶん「サウイフ」人は実在しないということも知っていたんだろうな。小学生のころ、よくわからないまま暗唱とかさせられてたけど。

これは余談だけれど、何年か前まで、岩手には「けんじワールド」という娯楽施設(主に屋内プール)があって、子どものころよく祖父に連れていかれた。当時は宮沢賢治という人を知らなかった上、祖父の名前が「けんじ」だったので、「ここはおじいちゃんのワールドなのか!?!?」と思っていた。けんじワールド自体に宮沢賢治要素はあんまりなかったような気がする。

3周年と3年前

この病み垢3周年だよ!とツイッターから通知が来た。ので、今回は病み垢を作ったときの話を書く。

3年前の冬、私は書店員のアルバイトをしていた。外観はきれいにしているけれど、まあまあ年季の入ったビルの中にあるその店は、特別広くも狭くもなく、客はサラリーマンと老人が中心だった。そんな中途半端さが私は嫌いではなかったし、一緒に働く人たちも感じがよかったので、比較的楽しく穏やかに仕事をすることができていた。

正月休みが明けて1週間ほど経ったその日、事件は起こった。

平日の夕方、私はひとりでレジカウンターに立ち、客の会計をしていた。他のスタッフはみんな売り場に出ていて、カウンター内で作業をする人は誰もいなかった。客が並んだり問い合わせが重なった場合は、ファミレスの席に置いてあるような呼び出しベルを鳴らして知らせることになっている。

会計中の客がひとり、その後ろに並んでいる客がひとり。レジはもう1台あるけれど、そちらを開けるまでもない。そう思っていた矢先、ふたりの客の間に、ひとりの男の老人が割り込んできた。

私はあわてて、ちょっと大きな声を出した。「お客さま、列の後ろに並んでお待ちください」

老人は一瞬私をにらみつけたが、言われた通り、先に並んでいた客の後ろに移動したので安堵した。

しかしひとりめの客の会計が済むと、なぜかふたりめの客は列の先頭から消えていて、先ほどの割り込み老人が目の前に現れたのだ。

会計の列に並んだからといって、そこから抜けてはいけない、などという決まりはない。買い忘れたものを思い出して売り場に引き返す場合などは、店側の利益が上がる可能性が高いので、むしろ感謝すべきことだ。

だけど、なぜ、今。どうして、今?

私の頭の中は、嫌な予感でぱんぱんにふくれあがっていた。

老人はまず、手に持っていた商品をカウンターにたたきつけた。それは半透明のビニールでできたブックカバーだったので、ぺしんとかすかな音を立てただけだった。

拾い上げた手は、すでにふるえていた。バーコードをレジに通す。「216円でございます」

ポイントカードがトレイに放り込まれる。レジに通し、すぐに返す。相手が代金を取り出すまでの間、ブックカバーを小さな袋に入れ、店の名前が入ったテープで口を閉じる。すべての作業を終えてトレイの中を確認すると、そこにはどう見ても小銭の16円しか入っていなかった。

胃からせり上がってくるものを飲みこみながら、私はおそるおそる言った。

「恐れ入りますお客さま、お会計は216円ですが」

「1000円出したよ」

老人は、私の言葉を押しつぶすように言い放った。

嘘だと思った。というか、嘘だと分かっていた。

わざわざ説明する必要もないと思うが、私たちは、「客が代金をすべて取り出したあと、それらを確認の上受け取って会計を実行する」ように教育されている。大抵の客が、大きな額面の札を先に出してから小銭入れをごそごそするし、先に札だけを受け取ってレジに入れてしまうと、その後本当に受け取ったかどうか確認する作業が発生した場合にとても面倒だからだ。

とにかく、私はその教えをかたくなに守っていたし、どんなに忙しくてもそれだけは意識して実行していた。だから、この老人の言う「1000円出した」は、意図的についた嘘か、本人が勘違いしているかのどちらかだと確信していた。

うん、きっと勘違いしてるんだ。ポイントカード出して、札も出したと思いこむ人、時々いるし。カードはお預かりしましたけども〜って丁寧に説明すれば、あれそうだったかな?って考え直してくれるはず。うん。大丈夫。大丈夫。

0.01秒で自分をなだめすかし、再び声を絞り出す。

「いえ、ポイントカードはお預かりしましたが」

「あ?」

老人は私の目を見据え、すごんできた。

何言ってんだお前、とか、ふざけんな、とも言っていたかもしれない。

スタッフの誰かが異変を感じて駆けつけるということもなかったので、さほど大きな声ではなかったのだと思う。

けれど、すごまれた瞬間、私の中で何かが切れた。プラグをコンセントから乱暴に引き抜くように。

敵意を向けてくる知らない老人とふたりきりで、小さなアクリルの箱の中に閉じこめられたようで、息が苦しくなった。私よりも身長が低くて、腕も細いはずの相手が、巨大な怪物のように見えてくる。

気がつくと私は、老人に頭を下げていた。確認できておりませんでした、申し訳ありません、と。そのままレジから800円を取り出して渡し、レシートを渡し、商品の入った袋を渡した。「またどうぞご利用くださいませ」と言わなかったのが、唯一の反抗だった。呼び出しベルのことなど、これっぽっちも思い出せなかった。

このときの私の行動は、社会人として失格だ。1000円を受け取っていないことを知っていながら、受け取ったかのように認めて商品もお釣りも渡してしまって、店に損害しか与えていない。たとえその数日前に、店長に「作業が中断されるからベルはあまり鳴らさないでほしい」と言われていたとしても、自分ひとりでは対応しきれないかもと思った時点でベルを鳴らすべきだった。そうすれば少なくとも、黙って商品と金を渡すような事態にはならなかったかもしれない。

でも、私には、それができなかった。すべきことが、ひとつもできなかった。

社員に事情を話してレジ金を確認すると、予想どおり1000円ちょうど足りず、後日店長をまじえて防犯カメラの映像確認が行われた。老人はやはり1000円など出してはおらず、あんのクソジジイという気持ちになったけれど、それよりも衝撃的だったのは、私自身の行動の素早さだ。すごまれてからの恐怖の時間が、あのときの私には永遠のように感じられていたのに、映像の中の私は、ジジイに何か言われた直後に頭を下げ、レジを開けて金を渡していた。面倒な客が来たから適当に処理しちゃおうとしていた、と思われても仕方がないと思った。

口の悪い文芸担当の社員には「なんですぐ金渡すんだよ」「なんで誰も呼ばねーんだよ」と至極真っ当な形で責められ、すべてその通りだったので私は謝ることしかできなかった。一方、店長は「これから気をつけようね」くらいで、あとは何も言わなかった。他のスタッフには「こういうことがあったから皆さん気をつけましょう」という感じで伝えるんだろうなと思っていたのだが、どうやらそれもなかったらしい。クソジジイに絡まれた女性アルバイトへの、彼なりの気遣いだったのかもしれない。けれど私には、それがかえってつらかった。めちゃくちゃに怒って、損した1000円給料から天引きするからな!くらい言ってほしかった。怒る人がいなかったら、私が私を罰するしかなくなってしまうから。

その日を境に、仕事に行くのがしんどいと思うようになった。朝起きるのもしんどい、着替えるのも化粧をするのもしんどい、朝食を食べるのもしんどい、電車に乗るのもしんどい。しんどいけれど、できないわけではなかったので、仕事に行き続けた。

例のジジイは、以前から店で見かける客だったが、1000円事件のあとも普通に買い物しに来ていた。あれから年配の男性客と接するのが怖くなってしまった私は、その姿を見かけるたび、お願いだからこっちに来ないでくれと念じるしかなかった。

しかしそんな思いもむなしく、ある日ジジイは私の立つレジカウンターにやってきた。そして、商品ではなく何かの封書を目の前につきつけてきた。

「これ、名前間違ってんだけど。この店どうなってんの」

見ると、それは店で発行しているポイントカードのダイレクトメールだった。といっても、うちで扱っているポイントカードは自社のものではないので、そのダイレクトメールは、カードの管理会社から送られてきているものだ。その宛名が間違っているのだという。しかしカードの申し込み自体は店舗で行っているので、「この店どうなってんの」というわけだ。

対応方法がわからず、店長を呼んで代わってもらった。他の業務をしながら様子をうかがっていると、管理会社に電話で問い合わせることにしたようだ。はじめは店長が事情を話していたが、個人情報にかかわることなのでと、ジジイに受話器を差し出した。するとジジイはそれを奪い取り、突然キレ出したのだ。何してんだとかふざけんじゃねえよとか、だいたい私に言ったのと同じようなことを、大きくはないがドスを効かせた声でしゃべっていた。

事が済んだあと、「さっきの人、1000円出さなかったあの人ですよ」と店長にこっそり伝えると、ああ、と腑に落ちたような顔をして、「電話口で急に怒り出すからびっくりしたよ〜」と愚痴をもらした。

(ちなみにポイントカードは客が手書きで申込書に記入し、店側としてはそれを管理会社に送付するだけだったので、字が汚いと正しく認識されないことがある、とのことだった)

私が1000円を受け取り損ねたあとも、店は通常通り営業し、やらなければならないことは山積みだった。それらをひとつずつやっつけて、自分なりの仕事の流れを作っていたはずだったのに、私はいつの間にか、そのリズムにうまく乗れなくなっていた。

一旦フロアに出ると、私たちの行動は全て客に見えるようになっている。荷解きをする場所も、コミックにビニールをかける機械が置いてある場所も、カーテンはあるけれど常に開けておくように言われている。発注作業をするパソコンや、包装用のスペースがあるカウンターの奥でさえも、文房具売場にまわれば丸見えだった。唯一ひとりになれるのがトイレだったが、私は主にレジ業務を担当していたので、そこから長い時間離れることはできなかった。いざというとき身を隠す場所もない、そんなところで働かなくてはいけないという当たり前の現実が、私を疲弊させていた。

そんなだましだましの生活を1ヶ月ほど続けたころ、仕事に行く支度をしていた私は、手のふるえに気がついた。眉毛がうまく描けない。どうしよう、と思ううちに、呼吸が浅く、苦しくなってきた。蛇口をひねったように涙があふれて、ファンデーションを塗りたての顔がぐちゃぐちゃになる。あのジジイにすごまれたときだって、視界が滲むことさえなかったのに。

嗚咽しながら、「これはダメなやつだ」と悟った。結婚前、5年間働いた店を無理やり辞めたときの状態とあまりにもよく似ていたからだ。

しかし、その状況は違っている。前回は店長のパワハラモラハラが原因で、今回は客への恐怖と強い自己否定感が原因だった。何より私は、結婚前から、東京に出たら書店で働くと心に決めていた。居心地のいいその場所を、簡単に手放す気はなかった。

意識がもうろうとする中、店に電話をかけ、店長に事情を説明する。休息と病院探しのため、とりあえず2週間、シフトを白紙にしてもらうことが決まった。けれど2週間後、状態が回復してそれまでのように働けるようになるとは思えなかった。

まったく縁のない土地で、これからメンタルクリニックを探さなくてはいけない。それも見つかればいいというわけではなく、合わないと感じれば別のところに行く必要がある。こんな状態の私に、そんなことが本当にできるのだろうか。

夫と一緒に暮らしているのに、私は孤独で、不安と恐怖にまみれていた。

そんな中、孤独を紛らわすことのできそうな方法をひとつだけ思いついた。ツイッターに病み垢を作るのだ。

病み垢と自称しておけば、不安だの怖いだの死にたいだのつぶやいても文句は言われないはずだし、いざとなったら鍵をかければいい。似た境遇の誰かと知り合って仲良くなれる可能性だってある。

私はそれまで毎日使っていた趣味垢の更新を止め、病み垢を開設し、溜め込んできた暗いものを遠慮なく吐き出すようになった。

今は趣味垢のような部分もあるけれど、カテゴリーとしては病み垢がしっくりくると思っている。相変わらず死にたいとか、生まれてきたくなかったと思ったり、それをつぶやきたくなったりするし、健全な人たちはそういうことをしないらしいので。

1/28

・朝から気圧が急降下することが分かっていたので(頭痛ーるさまさま)、早めに頭痛薬投入+魔法の耳せん+耳が冷えないように耳あて、とフル装備したところ、症状がほとんど出ず(多少ふらつきがあった程度)拍子抜けした。次回もこれでいってみる。

 

・胃腸がおかしいせいか、吹き出物が出ていて憂鬱。本当なら、生理後の貴重な好調期なのに。背中にできていた謎のぽつぽつも、これと関係があるのだろうか。せめてきれいに消えておくれと念じながら薬を塗る。

 

・一重・奥二重用のビューラーが欲しい。私はほとんど一重のような奥二重のうえ、まつ毛が剛毛なのですぐ下がってくるのだが、負けずにがんばってくれるのなら試してみたい。それでも、カールキープ用の下地とかは必須だと思うけれど。

 

・両手の親指に腱鞘炎疑惑。おそらくスマホゲームのやりすぎ。仕事にも支障が出かねないので、ちょっと控えたい。(希望的観測)

 

・明日はカウンセリング。終わったら、リフレッシュがてらショッピングモールをうろつく予定。ユニクロの新しいワイヤレスブラがどんな感じか確認したい。お昼ごはんにおいしいパンを買って帰るのもいいかもしれない。パンは腹持ちが悪いので基本的には米派だけれど、食べたいときには食べる。

 

・一昨日、3時半に目が覚めて6時すぎまで眠れないということがあったので、ちゃんと眠れるかなと不安でどきどきしてしまう。珍しく夫が先に寝てしまったのもあるかもしれない。大丈夫だよとインナーチャイルドをなだめながら、いつもの薬に睡眠導入剤を足して布団に入ろう。

大丈夫だよ。おやすみなさい。

蜘蛛の糸と命綱

父がパソコンを買ってきたのは、20年ほど前、各家庭にインターネットが普及し始めたころだ。仕事で必要だったのだろうと思う。母や他のきょうだいたちがほとんど見向きもしない中、私だけがその大きな箱にかじりつき、インターネットという新しい世界にひきこまれていった。

当時小学生だった私の周囲に、「家にパソコンがあり、日常的に触っている」という友だちはいなかった。土地柄もあるのかもしれないが(けっこうな田舎だった)、私は年齢のわりにインターネット歴が長いほうなのかもしれない。

初めは有名な子ども向けのポータルサイトで、気になる項目をクリックしたり、ゲームをして楽しんでいた。そのうち「検索」という手段を覚えると、好きな単語を窓に打ち込んでは、ヒットしたページをかたっぱしから開いていくことに夢中になった。誰が描いたのかわからない、好きなアニメのキャラクターのイラスト、聞いたことのない音楽、たくさんの人たちが集まる掲示板。知らなかったもの、想像さえしなかったものが、そこには数えきれないほどあった。

やがて私は、インターネットの深い森にひそむ、ひとつの村にたどり着いた。当時大好きだった少年マンガのファンサイトだ。作品の情報や豆知識などのコンテンツも充実していたが、私がハマったのは、そこに設置されていた大型の掲示板だった。

私がよく出入りしていたのは、同い年の子たちが集まるスレッドだ。学校から帰ると「ただいま~!」なんて言って、毎日のように書き込んでいた。特に仲良くなった子とは、メールでやりとりして住所と名前を教えあい、年賀状交換などもした(両親には不審がられた)。当時SNSという言葉はなかったけれど、今思えばあの場所は、それらと何ら変わりないものだった。インターネットは幻想の世界ではなく、別の誰かの現実に続く細い糸のようなものなのだと、私は誰に教わるでもなく知っていた。

中学1年生の冬の終わり、私はそれまで開くことのなかったスレッドに足を踏み入れた。タイトルは「愚痴を吐き出す」とか、そういう類のものだったと思う。

中学に入って3ヶ月くらい経ったころから、私はいじめに遭っていた。首謀者はクラスも部活動も同じで、なぜか周りもそれに迎合しだし、親も教師も対処してくれなかったおかげで、私の居場所はどこにもなくなっていた。放課後、親が仕事から帰ってくるまで、パソコンのディスプレイをのぞきこむ数時間が唯一の安らぎだった。その短い間だけ、「田舎の学校でいじめられているブサイクな中学生」ではなく、「少年マンガが好きな普通の女の子」でいることができたのだ。インターネットは私にとって、もはや楽しい冒険の世界ではなく、自分の現実を忘れるための薬、生活を乗り切るための安息の地だった。

それまで誰にも言えなかった気持ちは、馴染んだキーボードの上でするすると言葉になっていく。いじめられていてつらかったこと。相手になんの仕返しもできなかったこと。春になればクラス替えで、首謀者とは離れられることが決まっているけれど(教師が便宜をはかってくれた)、自分はこのいじめに負けたのだと思っている、ということ。

そこに書きこむことで、何かが変わるわけではない。ただ、独り言としてつぶやくことさえできなかったこの気持ちを、知らない誰かが受け取ってくれたらいいと思った。

後日、その投稿にいくつかコメントがついた。みんな年上で、今まで話したことのない人たちだったけれど、彼らは揃ってこう書きこんでいた。

「あなたはいじめに負けたんじゃない、勝ったんだ」と。

そんなバカな、と思った。私の周囲で、そんなことを言う大人はひとりもいなかったし、自分でもそんな考えに至ったことはなかった。

けれど、それらの言葉をすんなりのみこめる自分もそこにはいて、胃が裏返りそうになりながら、私は泣いた。今自分の周りにいる人たちとまったく違う考えをもって、思いもよらない言葉をくれる人たちが、この世界には確かにいる。うれしいけれど、少しおそろしいような、初めての体験だった。

 

その後は自分のサイトを作ったこともあるし、SNSのはしりであるmixiが登場するとそちらに入り浸り、今はツイッターをながめるのが習慣になっている。時代とともにツールは変化しているけれど、私はずっとインターネットとともに生きている。今の自分の現実の海で溺れないように、別の誰かの現実とつながる細い糸を太く太く編んで、胴体にしっかりと巻きつけて泳いでいる。生きることに積極的ではないし、しょっちゅう死にたくなるけれど、うっかり死んでしまわないように気をつけてはいるのだ。

銃創と休息

今日も朝から頭が痛い。

いわゆる気象病とか、天気痛などと呼ばれるもので、気圧が下降するときはだいたい調子が悪い。台風が来るときなんかは、身体を起こしているだけでもつらい。

気圧の変化そのものは自然現象なのでどうしようもないけれど、不調の原因がそれだとわかっているぶん、対抗策を講じることができる。バファリンで痛みが緩和されればラッキーだし、薬を飲んでもつらいときは寝る。「大いなる自然の前に人間は無力である」とか、なんかそれっぽいことを唱えておけば気持ちも楽になって、ドヤ顔で休める。

困るのは、「なんかよくわかんないけど調子悪い」というやつだ。なんかだるい、なんか頭痛い、なんか食欲ない。熱はないし横になるほどじゃないけど、なんか活動する元気がない。

もしも夫や友人がこんなことを言っていたら、「原因がわからないなら尚更休め」と布団におしこめると思う。けれど、自分の身にそういうことが起こったとき、私は潔く休むことができない。それは、「休むことは悪である」というゆがんだ思考が脳みそにへばりついているからだ。

 

中学生のころ、私は同級生によるいじめの標的になっていた。初めは誰にも言わず耐えていたのだが、それも限界に達し、親に告白することを決めた。「いじめられている。もう学校に行きたくない」ということを手紙にしたため、家族がみんな眠った真夜中に、親の寝室のドアのすきまにそっと差し込んだ。

これでもう大丈夫だと、私は安心して布団の中にもぐりこんだ。娘が明確な理由をもって「行きたくない、休みたい」と言っている場所に、無理やり送り出すような人たちではないと、無意識のうちに信じ切っていたのだ。

明朝、その思いは粉々に砕かれた。部屋にやってきた母は、「学校を休むのだけはダメ、学校には行きなさい」とのたまった。他にも何か会話があったはずなのだが、それらがすべて吹っ飛んでしまうほど、その言葉は私の腹に深く突き刺さった。私は戦場でぼろぼろになって、それでも一命をとりとめて自宅に戻ってきた兵士だった。母はそれを知ってか知らずか、追い討ちをかけるように銃をぶっぱなして「戦場に戻れ」と言ったのだ。

応戦する力など残ってはいなかった。傷を見せて痛いと訴えれば、守ってもらえるどころか、また攻撃される。そのことだけをはっきりと学習した私は、家族に弱みを見せることをやめた。ド田舎に住むクソ真面目な子どもだったおかげで、そこから逃げ出すこともできず、結婚が決まって家を出るまで、私は自分のつらさや悲しみや怒りを自分の中にしまいこみ続けた。

新生活が始まってしばらく経つと、それらが爆発しだしてまた大変なことになるのだが、それは今後の記事で少しずつ書いていこうと思う。

 

こんな私が、「休む」という選択肢をとるのはなかなか難しいことだ。「休むほどのことじゃない」と無理やり自分に言い聞かせて、その結果ひどく疲弊してしまったり、せっかく休むと決めても「このくらいで休んでしまうなんて自分は役立たずのクズカスだ」などと考えて布団の中でだらだら泣いていたりする。

ただひとつ言えるのは、私が休むことを怒ったり責めたりする人間は今の環境にはいないし、そもそも調子が悪くて休んでいる誰かに文句を言うようなやつはおかしい、ということだ。

休むことへの抵抗感がきれいさっぱりなくなる、ということはないのかもしれない(それはそれで大人として問題があるような気がするし)。けれど心身の健康のためにも、「よくわかんないけど調子悪い」自分を軽視せず、休む時にはゆっくり休むということができるようになればなあ、と思っている。

アラサーとクレープ

しばらくぶりに、クレープというものを食べた。ショッピングモールのフードコートなんかにある、夕方には中高生の列ができているような店のクレープだ。

なぜそんなことになったかというと、夫と出かけている最中、私が空腹に耐えられなくなったのだ。

私は非常に燃費の悪いタイプだ。朝食のあと、何をするでもなく寝転がってばかりの休日でも、昼にはしっかりお腹がすく。仕事や外出でエネルギーを消耗していれば、空腹までの時間は短くなり、度合いも強くなる。さらに、その状態が続くと、私はめちゃくちゃ機嫌が悪くなるのだ。

以上のことを夫は身をもって知っているので、私が「おなかすいた」と言い出した時点から、彼はそれを早急に解決するための手段を探っていた。

冬の土曜の午後5時、たくさんの人が行き交う大きな駅の前で、すぐ席につけるカフェがあるとは思えなかった。ただ軽食にありつければいいというわけではなく、からっぽの私のお腹をある程度満たす分量の食べ物を提供している、という条件も達成されなくてはならない。

そこで目をつけたのが、新しくオープンしたゲームセンターのフロアに併設されているクレープ店だ。私たちは外出すると、大抵どこかのゲームセンターに立ち寄りUFOキャッチャーなどに興じるので、その情報を把握してはいたけれど、実際に何かを注文したことはなかった。

クレープ店のカウンターは並ぶ人もほとんどおらず、埋まっていたテーブル席も、ちょっと目を離したすきに空いていた。私たちはいそいそと注文を済ませ、荷物を置いて席を確保した。

夫が手渡してくれた私のクレープは、バナナとチーズケーキとカスタードクリームとホイップクリームにキャラメルソースがかかっているという徹底ぶりにもかかわらず、案外軽かった。身体を冷やしたくなくて、アイスクリームが入っていないものを選んだせいかもしれない。

とにかくお腹を落ち着かせたくて、私はそれにかぶりついた。クレープ生地の端のぱりぱりしたところと、斜め切りのバナナと直方体のケーキ、各種クリームとソースが一度に舌の上にのっかってくる。何も考えず(考えられず)、どんどん食べ進める。巻かれた紙をはがすとキャラメルソースがこぼれてきて、残りをあわてて口の中に放りこんだ。

かくして、私の腹と心の平和は守られたのだ。

そのクレープは確かにおいしかった、おいしかったはずなのだが、そう断言するには何かが喉の奥にひっかかる。焦って飲みこむように食べたせいだろうか。ただ、ティーンエイジャーの食べ物って感じだなあ、と思ったことは覚えている。

あれだけの魅力的な要素を、小麦粉の皮で包むことで、一度に一気に味わうことができる。学生のころはそれがとてつもない贅沢に思えたはずなのに、私の食に対する感覚は、いつの間にか変わってしまっていたらしい。単に年齢を重ねて、そのクレープよりもおいしいものをたくさん知ってしまったからというだけでなく、もっと根本的な部分があのころとは違っているような気がする。どこがどんなふうに、と説明するのは難しいけれど。

おいしかった!また絶対食べたい!とは言えないにしても、「悪くはないかな」と思っていることは間違いないので、今度は適度に空腹なときに食べに行ってみようと思う。具が少なくて値段の安いメニュー(シュガーバターとかクリームのみとか)もたくさんあったので。