養分と毒素

死ねないから生きている

3周年と3年前

この病み垢3周年だよ!とツイッターから通知が来た。ので、今回は病み垢を作ったときの話を書く。

3年前の冬、私は書店員のアルバイトをしていた。外観はきれいにしているけれど、まあまあ年季の入ったビルの中にあるその店は、特別広くも狭くもなく、客はサラリーマンと老人が中心だった。そんな中途半端さが私は嫌いではなかったし、一緒に働く人たちも感じがよかったので、比較的楽しく穏やかに仕事をすることができていた。

正月休みが明けて1週間ほど経ったその日、事件は起こった。

平日の夕方、私はひとりでレジカウンターに立ち、客の会計をしていた。他のスタッフはみんな売り場に出ていて、カウンター内で作業をする人は誰もいなかった。客が並んだり問い合わせが重なった場合は、ファミレスの席に置いてあるような呼び出しベルを鳴らして知らせることになっている。

会計中の客がひとり、その後ろに並んでいる客がひとり。レジはもう1台あるけれど、そちらを開けるまでもない。そう思っていた矢先、ふたりの客の間に、ひとりの男の老人が割り込んできた。

私はあわてて、ちょっと大きな声を出した。「お客さま、列の後ろに並んでお待ちください」

老人は一瞬私をにらみつけたが、言われた通り、先に並んでいた客の後ろに移動したので安堵した。

しかしひとりめの客の会計が済むと、なぜかふたりめの客は列の先頭から消えていて、先ほどの割り込み老人が目の前に現れたのだ。

会計の列に並んだからといって、そこから抜けてはいけない、などという決まりはない。買い忘れたものを思い出して売り場に引き返す場合などは、店側の利益が上がる可能性が高いので、むしろ感謝すべきことだ。

だけど、なぜ、今。どうして、今?

私の頭の中は、嫌な予感でぱんぱんにふくれあがっていた。

老人はまず、手に持っていた商品をカウンターにたたきつけた。それは半透明のビニールでできたブックカバーだったので、ぺしんとかすかな音を立てただけだった。

拾い上げた手は、すでにふるえていた。バーコードをレジに通す。「216円でございます」

ポイントカードがトレイに放り込まれる。レジに通し、すぐに返す。相手が代金を取り出すまでの間、ブックカバーを小さな袋に入れ、店の名前が入ったテープで口を閉じる。すべての作業を終えてトレイの中を確認すると、そこにはどう見ても小銭の16円しか入っていなかった。

胃からせり上がってくるものを飲みこみながら、私はおそるおそる言った。

「恐れ入りますお客さま、お会計は216円ですが」

「1000円出したよ」

老人は、私の言葉を押しつぶすように言い放った。

嘘だと思った。というか、嘘だと分かっていた。

わざわざ説明する必要もないと思うが、私たちは、「客が代金をすべて取り出したあと、それらを確認の上受け取って会計を実行する」ように教育されている。大抵の客が、大きな額面の札を先に出してから小銭入れをごそごそするし、先に札だけを受け取ってレジに入れてしまうと、その後本当に受け取ったかどうか確認する作業が発生した場合にとても面倒だからだ。

とにかく、私はその教えをかたくなに守っていたし、どんなに忙しくてもそれだけは意識して実行していた。だから、この老人の言う「1000円出した」は、意図的についた嘘か、本人が勘違いしているかのどちらかだと確信していた。

うん、きっと勘違いしてるんだ。ポイントカード出して、札も出したと思いこむ人、時々いるし。カードはお預かりしましたけども〜って丁寧に説明すれば、あれそうだったかな?って考え直してくれるはず。うん。大丈夫。大丈夫。

0.01秒で自分をなだめすかし、再び声を絞り出す。

「いえ、ポイントカードはお預かりしましたが」

「あ?」

老人は私の目を見据え、すごんできた。

何言ってんだお前、とか、ふざけんな、とも言っていたかもしれない。

スタッフの誰かが異変を感じて駆けつけるということもなかったので、さほど大きな声ではなかったのだと思う。

けれど、すごまれた瞬間、私の中で何かが切れた。プラグをコンセントから乱暴に引き抜くように。

敵意を向けてくる知らない老人とふたりきりで、小さなアクリルの箱の中に閉じこめられたようで、息が苦しくなった。私よりも身長が低くて、腕も細いはずの相手が、巨大な怪物のように見えてくる。

気がつくと私は、老人に頭を下げていた。確認できておりませんでした、申し訳ありません、と。そのままレジから800円を取り出して渡し、レシートを渡し、商品の入った袋を渡した。「またどうぞご利用くださいませ」と言わなかったのが、唯一の反抗だった。呼び出しベルのことなど、これっぽっちも思い出せなかった。

このときの私の行動は、社会人として失格だ。1000円を受け取っていないことを知っていながら、受け取ったかのように認めて商品もお釣りも渡してしまって、店に損害しか与えていない。たとえその数日前に、店長に「作業が中断されるからベルはあまり鳴らさないでほしい」と言われていたとしても、自分ひとりでは対応しきれないかもと思った時点でベルを鳴らすべきだった。そうすれば少なくとも、黙って商品と金を渡すような事態にはならなかったかもしれない。

でも、私には、それができなかった。すべきことが、ひとつもできなかった。

社員に事情を話してレジ金を確認すると、予想どおり1000円ちょうど足りず、後日店長をまじえて防犯カメラの映像確認が行われた。老人はやはり1000円など出してはおらず、あんのクソジジイという気持ちになったけれど、それよりも衝撃的だったのは、私自身の行動の素早さだ。すごまれてからの恐怖の時間が、あのときの私には永遠のように感じられていたのに、映像の中の私は、ジジイに何か言われた直後に頭を下げ、レジを開けて金を渡していた。面倒な客が来たから適当に処理しちゃおうとしていた、と思われても仕方がないと思った。

口の悪い文芸担当の社員には「なんですぐ金渡すんだよ」「なんで誰も呼ばねーんだよ」と至極真っ当な形で責められ、すべてその通りだったので私は謝ることしかできなかった。一方、店長は「これから気をつけようね」くらいで、あとは何も言わなかった。他のスタッフには「こういうことがあったから皆さん気をつけましょう」という感じで伝えるんだろうなと思っていたのだが、どうやらそれもなかったらしい。クソジジイに絡まれた女性アルバイトへの、彼なりの気遣いだったのかもしれない。けれど私には、それがかえってつらかった。めちゃくちゃに怒って、損した1000円給料から天引きするからな!くらい言ってほしかった。怒る人がいなかったら、私が私を罰するしかなくなってしまうから。

その日を境に、仕事に行くのがしんどいと思うようになった。朝起きるのもしんどい、着替えるのも化粧をするのもしんどい、朝食を食べるのもしんどい、電車に乗るのもしんどい。しんどいけれど、できないわけではなかったので、仕事に行き続けた。

例のジジイは、以前から店で見かける客だったが、1000円事件のあとも普通に買い物しに来ていた。あれから年配の男性客と接するのが怖くなってしまった私は、その姿を見かけるたび、お願いだからこっちに来ないでくれと念じるしかなかった。

しかしそんな思いもむなしく、ある日ジジイは私の立つレジカウンターにやってきた。そして、商品ではなく何かの封書を目の前につきつけてきた。

「これ、名前間違ってんだけど。この店どうなってんの」

見ると、それは店で発行しているポイントカードのダイレクトメールだった。といっても、うちで扱っているポイントカードは自社のものではないので、そのダイレクトメールは、カードの管理会社から送られてきているものだ。その宛名が間違っているのだという。しかしカードの申し込み自体は店舗で行っているので、「この店どうなってんの」というわけだ。

対応方法がわからず、店長を呼んで代わってもらった。他の業務をしながら様子をうかがっていると、管理会社に電話で問い合わせることにしたようだ。はじめは店長が事情を話していたが、個人情報にかかわることなのでと、ジジイに受話器を差し出した。するとジジイはそれを奪い取り、突然キレ出したのだ。何してんだとかふざけんじゃねえよとか、だいたい私に言ったのと同じようなことを、大きくはないがドスを効かせた声でしゃべっていた。

事が済んだあと、「さっきの人、1000円出さなかったあの人ですよ」と店長にこっそり伝えると、ああ、と腑に落ちたような顔をして、「電話口で急に怒り出すからびっくりしたよ〜」と愚痴をもらした。

(ちなみにポイントカードは客が手書きで申込書に記入し、店側としてはそれを管理会社に送付するだけだったので、字が汚いと正しく認識されないことがある、とのことだった)

私が1000円を受け取り損ねたあとも、店は通常通り営業し、やらなければならないことは山積みだった。それらをひとつずつやっつけて、自分なりの仕事の流れを作っていたはずだったのに、私はいつの間にか、そのリズムにうまく乗れなくなっていた。

一旦フロアに出ると、私たちの行動は全て客に見えるようになっている。荷解きをする場所も、コミックにビニールをかける機械が置いてある場所も、カーテンはあるけれど常に開けておくように言われている。発注作業をするパソコンや、包装用のスペースがあるカウンターの奥でさえも、文房具売場にまわれば丸見えだった。唯一ひとりになれるのがトイレだったが、私は主にレジ業務を担当していたので、そこから長い時間離れることはできなかった。いざというとき身を隠す場所もない、そんなところで働かなくてはいけないという当たり前の現実が、私を疲弊させていた。

そんなだましだましの生活を1ヶ月ほど続けたころ、仕事に行く支度をしていた私は、手のふるえに気がついた。眉毛がうまく描けない。どうしよう、と思ううちに、呼吸が浅く、苦しくなってきた。蛇口をひねったように涙があふれて、ファンデーションを塗りたての顔がぐちゃぐちゃになる。あのジジイにすごまれたときだって、視界が滲むことさえなかったのに。

嗚咽しながら、「これはダメなやつだ」と悟った。結婚前、5年間働いた店を無理やり辞めたときの状態とあまりにもよく似ていたからだ。

しかし、その状況は違っている。前回は店長のパワハラモラハラが原因で、今回は客への恐怖と強い自己否定感が原因だった。何より私は、結婚前から、東京に出たら書店で働くと心に決めていた。居心地のいいその場所を、簡単に手放す気はなかった。

意識がもうろうとする中、店に電話をかけ、店長に事情を説明する。休息と病院探しのため、とりあえず2週間、シフトを白紙にしてもらうことが決まった。けれど2週間後、状態が回復してそれまでのように働けるようになるとは思えなかった。

まったく縁のない土地で、これからメンタルクリニックを探さなくてはいけない。それも見つかればいいというわけではなく、合わないと感じれば別のところに行く必要がある。こんな状態の私に、そんなことが本当にできるのだろうか。

夫と一緒に暮らしているのに、私は孤独で、不安と恐怖にまみれていた。

そんな中、孤独を紛らわすことのできそうな方法をひとつだけ思いついた。ツイッターに病み垢を作るのだ。

病み垢と自称しておけば、不安だの怖いだの死にたいだのつぶやいても文句は言われないはずだし、いざとなったら鍵をかければいい。似た境遇の誰かと知り合って仲良くなれる可能性だってある。

私はそれまで毎日使っていた趣味垢の更新を止め、病み垢を開設し、溜め込んできた暗いものを遠慮なく吐き出すようになった。

今は趣味垢のような部分もあるけれど、カテゴリーとしては病み垢がしっくりくると思っている。相変わらず死にたいとか、生まれてきたくなかったと思ったり、それをつぶやきたくなったりするし、健全な人たちはそういうことをしないらしいので。